私が思うこと

2011/06/04
キリスト者として軸足を置く 

海野 光子  
  (元カナディアンアカデミー日本語教師、カナディアン歌舞伎指導・演出)

平和を語るとき、私たちキリスト者は軸足を「キリスト者として」に置かなければならないと思います。
イエスは聖書の中で「剣をとる者は皆、剣で滅びる」(マタイ26・52)また「敵を愛しなさい」(マタイ5・44)ともおっしゃっています。旧約聖書ではモーゼが十戒の中で「殺してはならない」とも書いています。これは「絶対的平和主義」の根幹になるものだと思います。「お国のために」でも、「正義のために」でも、「大義のために」でも、「民主主義を護るために」でも絶対に戦争をしてはならないのです。なざならば、戦争をすれば必ず人を殺さざるを得ないからです。
日本は世界で唯一の被爆国です。あの惨たらしい経験があったからこそ「憲法九条」で不戦の誓いをしたのです。「アメリカから押し付けられた」という人がいますが、たとえ「押し付けられた」としても世界に誇るべき憲法であることには変わりありません。
私は戦争体験者です。芦屋の大原町で、一軒おいて隣の家に爆弾が落ち、裏の家に焼夷弾が落ちて、私たち家族は夏蒲団をビショビショに濡らして命からがら逃げました。すこし広い池の所にたどり着いたら、三宮の方で焼夷弾が焼け、真っ赤になっていたのが今でも目に焼きついています。
また、母の一番下の弟が南方で戦死しました。私たち姉妹をとても可愛がってよく映画に連れて行ってくれた叔父で、その悲しみは忘れることが出来ません。弟は軍国少年で(あの時代は皆がそのように教育されていました)特攻隊に入ることを強く願っていましたが、ある人の説得でやっとあきらめました。私の姉の親友は東京でアメリカ兵の機銃射撃に狙い撃ちにされました。ハープを弾く美しい人でした。
このような悲劇は、日本に侵略された中国にも、戦時中徴用された韓国にも、今泥沼化しているイラクやアフガニスタンにもあります。戦争をする限りこのような悲劇は避けられないのです。
戦争は音も無く忍び寄ってきます。ところが今、その足音が聞こえてきます。平和は、今自民党や民主党が着々と準備している「憲法改悪」によって脆くも壊されようとしています。2005年8月2日朝日新聞に、現行憲法と自民党新憲法草案条文案が出ていますが、九条の二項で、自衛隊が自衛軍に巧妙に変わっています。
私は1960年代に芦屋岩園教会に所属していた頃「みんなで憲法を学ぶ会」というのを始めて、毎月1回勉強会を行っていました。そのころまだ政治家でなかった同志社大学の土井たか子先生や大阪市立大学の黒田了一先生を講師にお招きしたこともありました。
戦争はどんなメカニズムで起こるのでしょうか。戦争によってだれが得をするのでしょうか。戦争は、「軍産複合」によ
って起こされるのです。軍と軍需産業は密接に結託しています。軍需産業にとって戦争ほど儲かるものはないのです。(これはアメリカがなぜイラクで戦争するかを考えればわかります)
 憲法九条を護る運動は不断の努力で続けていくべきで、文化、イデオロギー、宗教、民族、の多様性を超えて、同じ人類として神様から与えられたこの美しい地球という惑星を守っていかなければならないと強く信じています。
 今年の3月11日の東日本大震災による福島の原発事故はまさに「人災」です。前から反対していた私は「やっぱり」と怒り心頭です。原発を見直す時が来たと思います。


 
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