私が思うこと(1)

2010/11/05

9月12日の9条交流会に参加しました

中村 陽一

9月12日の9条の心ネットワーク主催の9条交流集会に、九条の会.ひがしなだの会員の皆様も多数参加されたと思いますが、私も参加しました。
 午前中の討論集会は第1分科会の「『日米同盟』で平和は守れるか」に出席しました。分科会は、このテーマを、現状、近未来、遠い将来の三つのテーマに分けて、講師の井上正信氏(広島弁護士会)が簡単にコメントした後、質疑応答を行う形で進められました。
講師の話を聴講して強く印象に残った点は、(1) 10条があるから安保条約を破棄出来るといった議論でなく、現実を踏まえて考えると、現在は安保条約を破棄するチャンスの時代であると思う。パワーバランスが変化してアメリカの力が落ち、中国、インドの力が大きくなっている。その中で日米安保条約が阻害要因になりつつある。日本を含む北東アジアの状況の認識が大切。冷戦の影響が残っており、北朝鮮問題がある。相互不信感がある。その根底には、米韓、日米軍事同盟が阻害要因として存在する。現在は地域的な安全保障体制を考える時代になってきている。大きな時代変化が生じている。
 @ 力の支配から法の支配へ : 地雷やクラスター爆弾禁止の国際法や、ルアンダの虐殺などをきっかけとした常設の戦争犯罪を裁く国際裁判所設立の動きなど。連帯した市民運動が国際政治を動かし始めた。なぜか、彼らだ掲げているのは人権や平和であり誰も反対できないからだ。
 A 地域統合の動き : 軍事同盟は世界的に消え去りつつある。1973年に欧州安全保障会議が開かれ、現在、それは機構になりつつある。東南アジアにASEANがあり軍事同盟が解消されて地域統合に向かいつつある。アフリカでもアフリカ連合のような地域統合へ。南米もしかり。北東アジアだけが違う。なぜか、軍事同盟があるからだ。しかし、ここでも動きがある。核兵器開発禁止を目指す中で6カ国協議があり、地域的な平和を構築する動きが出てきている。
(2) 軍事的抑止力で脅威が防げるか?。抑止力理論は幻想に過ぎない。アメリカは世界の軍事費の140兆円の6割くらいに軍事費を使っているが、アメリカは安全か?。アメリカほど危険な国は無い。北朝鮮の脅威を軍事力で抑えられるか?。ブッシュ大統領時代に強硬政策を取った結果、北朝鮮は核開発に走った。韓国の軍艦の沈没は、その前の米韓軍事演習への反応。軍事力では封じ込められぬだけでなく、かえって問題を起こす。軍事力を用いないで平和が維持できるような環境を作ることが大切。
午後の池田香代子さんの講演では、みずみずしい言葉で、9.11の同時多発テロ以降に「世界がもし100人の村だったら」を発行した経緯や、その後の出版物の話、印税(1億円とのこと)で立ち上げた「100人村基金」の話、核実験が行われた時間と場所を示す映像を写した後で、「ニュークリア レイシズム、核の人種差別というのがある。ごらんのように核実験が行われたのは、元植民地かまたはネイティーブの人が住んでいるところが多い」という告発、食料自給率の話、水問題の話、自然エネルギーの話、などが語られた後、イマジンの話になりました。
ジョン レノンから「100人の村を音楽にしたい」という依頼があって、イマジンが生まれた。イマジンと憲法9条は相通ずる。イマジンは、歌詞の中で近代国民国家を否定している。フランス革命は戦いの中で生まれた。その結果、近代国民国家の交戦権が認められるようになった。全ての国が、近代国民国家としての交戦権を放棄すれば平和になる、とイマジンは詠っている。これは憲法9条そのもの。その話の後、会場にジョン バエズが歌うイマジンが流れました。
最後に、イギリスでもオランダでも、イラク戦争は本当に必要だったのかという検証が行われている。BBCは、「その時、ブレアの手は震えていた」と報道した。私は、これをNHKにやらせたい。「その時、小泉の手は震えていた」という報道をやらせたい。という話で講演は締めくくられました。


「核密約問題の不破講演を聞いて」   

金光宗夫

 不破氏は、核密約の本当の意味をつかむには、日米安保条約の歴史を見る必要があるとして、米国は1953年朝鮮で、54年にはフランスとベトナムの戦争で、58年には台湾海峡で、63年にはベトナム戦争で、核兵器に使用を実行しょうと検討されてきた事実を指摘しました。このように軍事的な失敗や危機が起きるたびに、核兵器による戦局の打開が何回も計画されたことを聞いて驚きました。
 米国では幼いうちから、原爆が戦争を終わらせたと聞かされています。核廃絶を目指すというオバマ大統領の姿勢は、米国の民意ではないはずです。だからこそ私たちが支えなければならない。核不拡散条約(NPT)再検討会議も核軍縮にとどまらず、核廃絶への道を開くべきです。
 7月の参議院選挙に向けて続々と新党が乱立していますが、憲法改悪の政策を示しています。さらに民主党も改憲志向と解釈改憲を求める動き、自民党の自主憲法制定のマニフェストなどの改憲の動きが強まります。
さらに、国民投票などを定めた[日本国憲法の改正手続きに関する法律](改憲手続き法)は来月、5月18日に施工されます。
私たちは、各地域で「憲法を守れ」の宣伝行動つよめ、憲法改悪に反対する世論を国民大多数に広げ、憲法を平和と暮らしに生かすたたかいを、強める必要があります。


「ロシアが攻めてきた!」  

住吉山手 古川 明

グルジュアの3月13日土曜夜のプライムタイム。くつろいでテレビを見ていた家族も多かったに違いない。そこへ衝撃的なニュースが飛び込んできた。「大統領の特別声明がでます」。キャスターが動揺した様子で切り出した。
 「南オセアチア(2008年にロシアがグルジュアからの独立を承認)でロシア軍の戦車部隊が戦闘準備を進めています」。映像にはロシア軍戦車の車列。「首都トビシリに向かう可能性も排除できません」。ニュースはさらに続けて、この日朝、南オセアチアのココイト大統領殺害された。ロシアのメデアはグルジュア軍による殺害を主張していると報道した。そして、ロシアのメドベージェフ大統領が「報復」として開戦を決意し、サーカシュビリ大統領殺害情報にも触れ、画面には戦争映像――――。
 偽ニュースを放送したのは、政権よりの主要テレビ局「イメージ」だ。偽ニュースは定時のニュース番組で放映された。テレビ局は番組の前後でシミュレーションと断ったと釈明しているが、ほとんどの人が真に受けた。08年夏、北京オリンピック開会式の当日、実際にロシア軍の進行を経験したグルジュアでは、当時の恐怖が今も身に染み付いているからだ。08年のグルジュア紛争でロシア軍の侵攻を受けたグルジュア住民の恐怖心が消えていないことを、国際社会は忘れてはならないでしょう。
 ロシアの影響圏から逃れようとする旧ソ連国の動きは当時、「民主化革命」ともてはやされた。だが、その総括は今年初めのウクライナ大統領選の結果が示すように通り、もはや旧ソ連国諸国は、ロシアの影響圏から離脱することはできないように思われる。日本はエ〜と・・・。
 「どこに逃げる? 小さい子供をどう守る? ショックで心臓が止まりそうでした」。首都トビシリの主婦クリスチーネさんは、偽ニュースを見たときの衝撃をそう振り返った。カフェや劇場、映画館から人は消え、現金を引き出しにATMへ急ぐ人がいれば、スーパーで片っ端から食料を買い込む人まで現れ、ガソリンスタンドには長蛇の列ができた。救急車の出動要請も相次ぎ、数十人が心筋梗塞で入院した。息子が兵役に就いている母親はショックの余り死亡した。
 同テレビ局は最後に、「実際起こりうる事件」を想定した特別番組だったことを明らかにしたが、ロシアや野党は「政権の挑発」と非難したと報道している。しかし、これが訓練であったとしてもあまりにも突然であることから非難が起こったというわけであるが、こういう訓練は実行すべきであると思います。これは非難されるべきものではなく、非常に重要な訓練だったのではないでしょうか。
 今回の訓練は、6月に開かれるサッカーW杯の南アフリカ大会開幕日を想定した、とテレビ局側は説明している。つまり、「ロシアが攻めてきた!」は6月に開かれるサッカーW杯の南アフリカ大会開幕日に現実に起こりうると想定したようだ。
 憲法9条は今まで我々が死守してきたが、これから以後誰が守っていくのであろうか。憲法9条はいま風前の灯になってしまっているのである。現代の若者において憲法9条の存在を果たして知っているかどうかさえ疑わしいと言えるのである。

「憲法9条…大切な大切な日本の宝です」

住吉宮町 正垣さゆり

 私が戦争や平和の尊さをさらに強く思うようになったのは、やはり家庭を持って子供ができてからです。愛する人達を戦場に送りたくない!。人殺しを肯定し、賞賛するような戦争は絶対に起こしてはならない。
 若いときは平和を歌う合唱団で歌っていました。今は、よさこいの踊りのチームに属し、「地球を笑顔の星に!」を合言葉に色々な所で踊っています。観てくださる方々の笑顔と、「元気を貰いました」の声に励まされ、これからもできる限り踊り続けたいと思っています。(体力の続く限り…)
 満開の桜の下で、お花見ができる、この平和を多くの人と共に守って行きたいです。



「桜と大垂れ幕」

渦森台 尾崎宏巳

 よく京都に行きました。何十年経っても忘れられないのは、“トラ”さんことに蜷川虎三知事が京都府庁舎のど真ん中に掲げていた大垂れ幕「憲法を暮らしに生かす」。そして「15の春は泣かせない」の言葉通りの施策。
 歴史的な街とともに日本に誇る「大垂れ幕」を見るにつけ、素晴らしい知事と府民だと感じていました。信念を曲げず憲法通りの府政を進めた“とら”さんが、いま「学校でたら失業」、「教師が絶句・・・腹が痛いと高校生、家に食べるものが無い。拾い食いして登校した」、という情況をみたらなんと言うでしょうか。
 桜が満開の京都、いま知事選挙が激烈にたたかわれていますが、京都の良識ある府民は“とら”さんの憲法通りの政治を取り戻そうと、相乗り(民主、自民、公明など)政治退場をもとめ大奮闘をしています。全国のためにも再び「大垂れ幕」を掲げて欲しいものです。


DVD「冬の兵士」を見て思ったこと

中村陽一

 機会があってDVD「冬の兵士」を観ることができた。この映画は、イラクやアフガニスタンの帰還兵が
アメリカの反戦集会で行った証言をフリージャーナリスト田保寿一さんが監督・編集したドキュメンタリー映画である。 これはむこの市民を殺すと言う不条理な戦場に放り込まれた兵士達の、帰国後P.T.S.Dにより正常な社会生活さえ送れなくなった兵士達の、きわめてシリアスな告白と戦争への告発の映画である。この映画の一部を見た人達から、重くて息苦しいので余り観たくないという意見も聞かれた。しかし、このような過酷な現実が、現在も存在しているということから目をそらすべきでは無いと思う。
 人類はなぜ戦争から解放されないのだろうか。ノーベル物理学賞を受賞された益川さんが、確か、「長い目で見れば、人類の歴史は良い方向に流れている」ということを言っておられたようだ。確かに、戦争の世紀とも言われた20世紀を振り返ると、2つの世界大戦で数千万人の人が死に、第2次世界大戦後も朝鮮戦争やベトナム戦争などが続いた。しかし、その20世紀の間に多くの植民地が独立し、いまでは明確な植民地は存在しなくなった。その結果、植民地争奪戦といった世界大戦はもはやありえなくなったようである。また、ソ連の崩壊により冷戦構造が崩れ、アメリカの一国覇権主義が問題視されるような時代になった。すなわち、人間の理性が戦争を封じ込めることが出来そうな時代になったと思われた。 
 ところが、21世紀に入っても各地で民族紛争が絶えず、2001年9月11日に、ハイジャックされた飛行機がニューヨークの貿易センタービルやペンタゴンに突っ込むという前代未聞のテロ事件が起きた。
これを機にブッシュ米大統領は「テロへの戦争」を宣言し、テロ組織アルカイダの流れを汲むアフガニスタンのタリバン政権に攻撃を仕掛け、さらに、イラクのフセイン政権がアルカイダとつながっているとか大量破壊兵器を所持しているとかの口実によりイラクへの戦争を宣告するに至った。 
 国連はこれを承認せずドイツやフランスは反対したが、イギリスのブレア政権と日本の小泉政権はいち早くこれを支持し、日本は憲法9条があるにかかわらず自衛隊を派遣することになった。アメリカのイラクへの戦線布告宣言に対して、全世界でものすごい規模の反戦デモが繰り広げられた。しかし、ものすごい反戦デモの嵐にかかわらず、アメリカはイラク戦争に踏み切ってしまった。その当時、私は、これほど強い反対運動があるにかかわらずブッシュ大統領が戦争に踏み切ったことに対して、深い絶望感に襲われた。また、多くの罪の無い市民が殺されてしまう、人類はなんと愚かなのだろうかと。 
 そして、先に述べた「冬の兵士」の告発のような兵士の状態や、高遠菜緒子さんがイラク市民の立場からイラク戦争を告発した講演会が大きな感動を呼んだような、悲惨な状況のイラク市民の現実が存在する。しかし、私達はこの現実にたじろいで絶望しているわけには行きません。9条の会近畿交流会の記念講演で渡辺浩氏(一ツ橋大学教授)が述べておられるように、「04年の世論調査では改憲賛成が65%、反対が22.7%であり、安部政権は任期中改憲にまで踏み込んだが、9条の会ができて全国津々浦々に7000を超える会が出来るようになると、08年4月には賛成42.5%、反対43.1%と逆転した」。つまり、運動が世論を変え、おいそれと改憲が出来ない状況を作り出したわけである。 
 私たち一人ひとりの力は小さいが、9条の会の呼びかけが訴えているように、「『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始める」ならば、民意を変え、政治を動かすことが可能なことを信じて、この運動を進めて行きたいと思っています。


「わ た し が 思 う こ と」

東神戸薬局9条の会  山口 扶左子

 私は医療人として、また3人の子供をもつ母親として「命の大切さ」を実感しながら日々生活しています。
日本の子供たちは勉学に苦労し、友人関係に悩んだりしながらも毎日元気に学校に通い、
明るく平和な未来を信じています。「戦争」や「平和」について深く考えたり学習する機会も少なく、今の生活が当然のものと思っているでしょう。 
 でも世界中を見ると、大人たちが自分勝手な理由で始めた戦争によって、心も体も傷つけられ、学ぶ権利も奪われ、未来に希望をもてない子供たちがたくさんいます。
暗く悲しい瞳の子供たちを見ると胸が痛み憤りを覚えます。 
 もし憲法9条が変えられてしまったら…日本の子供たちから笑顔が消える日がくるかも知れません。
日本人の手によって他国の子供たちを傷つけてしまうことがあるかも知れません。なんとしても9条を守らねばと強く思います。 
 もし憲法9条が世界中に広まったなら…戦争の犠牲になる子供たちをなくすことができるかも知れません。
考えただけでも幸せな気持ちになれます。子供たちにも憲法9条のすばらしさを理解してもらえるような取り組みが必要かも知れません。 
 私一人ができることは、ささやかなことかも知れませんが、みなさまにご指導いただきながら、粘り強く活動していけたらと思っています。


「憲法9条を守ろう」

青木9条の会 川上俊智

 昨夏の総選挙で国民は、自公政権を退場に追込みました。その結果、改憲派議員集団の「新憲法制定議員
同盟」所属の衆議院議員6割が落選し、国会内の改憲勢力が大きく後退するという状況が生まれました。
 しかし、共同通信社が行った民主党当選議員へのアンケートでは、改憲賛成議員が57%にのぼっています。
前述の「議員同盟」の顧問に鳩山首相、副会長に前原国土交通大臣が着いていることなどから、民主党内の改憲勢力の動きを警戒する必要があります。
 今年5月には、改憲手続法「国民投票法」が施行されます。憲法審査会を動かし改憲手続きを進行させようとする、自公を含む改憲勢力の動向にも注目が必要です。一方、戦争放棄の憲法9条を守ろうと組織された「9条の会」は、全国で7400を超える拡がりを見せ、国民世論に大きな影響を与えています。
 青木「9条の会」もこの運動に呼応して、08年5月から毎月第3水曜日の夕方、阪神青木駅前で宣伝行動を行っています。参加者は多いときで6人、少ないときは3人ですが継続しています。1月20日も今年最初の宣伝を実施しました。


「高遠菜穂子さんの講演を聞いて」

東神戸薬局九条の会 成山 昌子


 神戸健康共和会の新春学習会で高遠菜穂子さんのお話を聴きました。
2時間ほどの講演でしたが、スライドではかなり生々しい写真等もあって衝撃的な内容でした。
米軍の行った民間人の虐殺や不法な拘束、違法な兵器の使用の疑惑などについて当時の写真や、体験者の証言を話されました。
 しかし高遠さんは、だからといって多国籍軍を全面的に否定するわけではなく、軍とは一線を画し銃を持たない民間支援は、大きな組織にはないネットワークで、最も支援を必要とする人との距離が近いという利点がある、自分たちはそれを続けていくのだということを話されていました。
 戦争という悲惨な状況下で、憎しみに我を失うことなく自分の信念を貫く高遠さんの強さに感銘を受けました。
また、この戦争は日本の遠くで起こっていることではなく、日本も加担している戦争なのだということを考えて欲しいということも言っておられました。
 日本で憲法9条を守り、戦争に加担しない日本を作っていくことは、ただ日本だけのためではなく、世界中で戦禍に苦しむ人たちに連帯することになるのだと思いました。


「わたしが思うこと」

六甲アイランド 稲荷 真三


(1)政権が変わり激動の時代にある日本の中で、未来への不安の一つが「日本国憲法」の問題である。
私は60年代の、安保、三池の闘い、沖縄が米軍の支配下にある現地へ復帰の調査取材、等に参加してきた。
また、ベトナム戦争の最中にベトナム民主共和国訪問の日本代表団の一員として参加し、
最前線へ行った貴重な体験から、戦争への反対、平和を守ることの重要さを肌身で感じている。
 それだけに、憲法9条はもちろん25条などの空洞化が、なし崩しに常態化されようしている現実を注視し、これらの条項を守り育てることがますます大切だと思う。

(2)どんな戦争であれ、世界からなくして行かねばならない。
私は東京の国民学校(現在の小学校)の2年生の時、太平洋戦争が起こった。(真珠湾攻撃)
 6人家族の生活は、強制疎開、防空訓練、軍需工場への動員と言う毎日で、家族はバラバラになった。
 私の都立第10中学校の毎日の生活は、通学時にはアメリカの航空母艦からのグラマン戦闘機の機銃掃射に会い、兄は学徒動員で軍需工場へ、残されたのは三人家族であったが配給制度で米1日2合の生活、昭和20年の東京大空襲で家は焼け落ちて、神田川の中でようやく生きながらえた。
 それ以後、父の京都の実家に帰ることになった。高校時代は、1950年の朝鮮戦争に反対するPR活動をしてきた。 
 このような体験から、私はあらためて、平和を守る意欲を強く持ちながら、
足元(地域)から運動を少しでも前へ進めることができればと思っています。


「九条の会近畿ブロック交流会に参加しました」

御影九条の会 石田健一郎


 昨年の12月13日(日)、表記の交流会が大阪、関西大学キャンパスで行われ、700人が参加しました。
「九条の会」総会は過去3回、いずれも東京で行われてきましたが、参加者が多く十分に交流の時間が保障されないことから、昨年から各ブロック別に行うことになったものです。 
 近畿ブロックは中国ブロック(12月12日)に次いで2番目だったそうです。
一橋大学院教授「九条の会」事務局の渡辺治氏が「民主党政権と改憲の行方〜九条の会の新しい課題を探る」と題して記念講演され、近畿6府県から報告があった後、3つの分科会(「東北アジア・世界の平和と憲法9条」梅林宏道氏、「9条改憲の動向と私たちの課題」柳井健一氏、「青年・学生と憲法9条」藤井雅子氏、本多立太郎氏)と1つの分散会(交流会)に分かれて学習・交流しました。
 「九条の会.ひがしなだ」からは残念ながら、私一人だけの参加でしたが(中島さんが兵庫の世話人として頑張っておられました)、行く電車の中で兵庫の多くの参加者に会い、また会場では、大阪の懐かしい仲間と大勢会うことができ、大変うれしかったです。
 内容はまた、報告する機会があればしたいと思いますが、1月の通常国会冒頭に与党3党から提案される「国会改革法案」が曲者で、内閣法制局長の国会答弁禁止で、これに縛られることなく政治主導でどんどん解釈改憲を進める狙いがあることを注視する必要があります。


「住吉地域9条の会から」

住吉地域九条の会 合田 則子


 2005年10月 御影公会堂で開かれた「あなたの声で今、話さなくては!」―ひがしなだから9条の声―にも刺激されて、住吉9条の会(当時は仮称)が月1回有志で住吉の地域へ「9条リーフ」「はじめまして住吉九条の会からのお願いです」「住吉地域九条の会申し合わせ(案)」を封筒に入れて順次個人宅へ投函し、1ヵ月後に署名をお願いして周る活動を始めてこの1月で3年半になります。
 継続してできる運動という事で1回10軒から15軒ほど一軒づつベルを押して説明しています。其の後必ず次月訪問の封筒を投函していますので、次の訪問は「読んでいただけましたか?」でスタートできます。 
 日本全国で7000余の団体が思想・信条を別にして「憲法9条を守りたい」という一点で合意して活動をすすめていると説明して入会のお誘いをしています。 
 日中なので留守も多いのと、最近の「個人情報」云々で署名は1回0軒から3軒位ですが、
赤ちゃんを抱いて若いお父さんが「大切ですね」と署名。「父が戦死したのでこれだけは守りたい」と応じてくださる男性、訪問すると「待ってましたよ」と署名をして渡してくれる若いお母さんもいて、こちらも元気が出るのですが、反対に「こんなんしても仕方ないでー」「北朝鮮が攻めて来たらどないすんねん・・・」「あんたらの考えは甘いで〜」と反応はいろいろ。
 マスコミの論調や反動の力が強すぎて、くじけそうになりますが、住んでいる地域から、
今まで話せなかった方へ訴えていけるのは強みと思い続けています。 
 この間07年9月に住吉の会を立ち上げ。ポストインは約500、会話は半分。署名は約5分の1です。出来ていないのはマンション対策等。後一工夫がいると思いますが、身近に東灘の会の行事の案内などを署名してくださった家にお知らせできるので、ともにがんばっていきたいです。



「青木9条の会から」 

青木9条の会 西川 幸

 
 青木9条の会は、11月18日、午後4時から1時間阪神青木駅前で、定例の街頭宣伝をおこないました。
ここ、2年ほど毎月1回続けています。今回の内容は、NPT再検討会議に向けての核兵器廃絶署名とビラくばりでした。6人参加し、18名の署名が集まりました。原爆被害の写真パネルと「核兵器のない世界を」訴える著名人10名の顔写真ポスターをはって訴えました。 
保育所帰りとみられる男の子が近寄り写真を見て「戦争?」と聞いてきました。
「そうよ、よその国に戦争をしかけたので、こわい爆弾を落とされてみんな死んでしまったの」といいながら、若いお母さんに、こんなむごい写真を見せても「いいの?何歳?」と聞くと、お母さんは「いいんです。4歳です。現実を教えなくてはね。去年、広島の資料館に連れて行ったんです」と答えられました。 
 子どもはなおも、きのこ雲を見て「これはなに?」「爆弾が破裂したところ」「それからこうなって、こうなって、こうなったの?」「そうそう」という会話でした。お母さんは子どもを含む家族全員の署名をしてくれました。
 小さいときから平和教育をしている若いお母さんはえらいと思いました。「4歳の子どもにも戦争の悲惨さが理解できるのだ」ということに驚き、認識を新たにしました。


「開戦68周年に思う」

御影9条の会 石田 健一郎


 12月8日は、旧日本軍が太平洋戦争を開始した日。この日を、戦争放棄を国内外に宣言した憲法を守る決意の日にしたいものです。今年は開戦68周年、ますます戦争を知らない世代が増え、アジアと日本の多くの人々の命を奪った侵略戦争の反省にたって出来た平和憲法を有難さ、価値というものを知らない世代が増えています。 
そこで、学習と宣伝が大変大事になっています。各9条の会では様々な取り組みがなされていると思いますが、来年5月19日から「国民投票法案」が施行されます。先日の「九条の会.ひがしなだ」の宣伝・署名活動の対話の中でも、民主党政権になったので当面改憲は無いだろうとの幻想を持っている人もいました。 
これからが大変大事な時期になります。お互いにがんばりましょう。


「運ぶ」  


9条の会 藤原


11月3日、呼び掛け人である藤田佳代さんの第10回作品展(モダンダンス)を観に行きました。
10年以上前に、私が最初に観た踊りは、衝撃で今も覚えている「松の錆」でした。そして、今回は「運ぶ」。「すべての生きものは 過去から未来へ命を託され 運んでいる」です。
先日2人目の孫が誕生しました。親から私へ、そして子供へ、さらに孫へ。
人間は次の世代のために生きなければなりません。運べるように。
人間がこれ以上地球を壊さないように。
どうしょうもなく可愛い孫が、無事、生きて次へ運べるように。
「戦争への怯えや恐怖や悲しみや嘆きを与えるのではなく
きっちりこの憲法を守り通して平和な世界を渡したいと考えます」
再び、この東灘に、「ね あなたは憲法を お読みになりましたか」
と呼びかける9条の会が再開されて感謝しています。




「鞍馬寺にも憲法9条!」


鞍馬寺にも「憲法9条守れ」の掲示が!

NHK「大河ドラマ」の主人公義経が幼少時に修行をした京都の鞍馬寺の管主は憲法9条の呼びかけ人になっておられ、本堂と奥の院に次のような掲示があります。
紹介いたします。京都へ行く機会があれば、ぜひ寄ってみたいですね!

(本堂にある掲示)
はるか昔、お釈迦様は
お説きになりました
憎しみと怒りと貪りの心を
捨てたときに平和(安)が訪れると

今 私たちは持っています
戦わないという雄樹ある選択をした
人類の至宝「日本国憲法」を

戦争で悲しまないために
お釈迦様のみ教えと
平和憲法を両輪として
平和への道を進みましょう

その昔
一の谷、屋島、壇ノ浦
戦って戦って戦った義経は
戦いのむごさ むなしさに気づき
平泉では戦いませんでした

すこし前
真珠湾、硫黄島、沖縄
戦って戦って敗れたわが国は
戦争の悲惨さ 理不尽を知り
永久に戦わないと誓いました

戦争で悲しまないために
戦争で悲しませないために
平和の道を目指したのです
「日本国憲法」は平和の基盤
日本が世界に 誇れる宝です

(奥の院)の掲示
テロはやめよう/戦争もやめよう/無慈悲で残酷だ
真の平和を願ってひたすら祈ろう




 
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