映画「冬の兵士」上映会

2010/5/15

4月18日(土)、東神戸薬局の3階会議室で、学習会として、「冬の兵士」の上映会を行いました。
この映画は、イラク・アフガニスタン帰還兵が自らの「再生」をかけて、ワシントンDCで4日間にわたり、
自らの悲惨で非人間的な戦争体験を告白し、それを通じて戦争中止を呼びかけた証言集会の模様を
田保寿一氏が監督・編集したドキュメント映画です。

1時間20分の映画上映後、参加者約20名で、兵士達の真摯で懺悔にも似た告白のすがすがしさや、
それゆえに胸を打つ戦争への告発、そして光を放つ憲法9条等について、こもごもに語り合いました。
以下に、参加した方々の感想文を紹介します。

(敬称省略)

藤田 佳代

「冬の兵士」。冬という言葉と兵士という言葉で想像はしていましたが、こんなにしっかりとはっきりと、自分の言葉で、たくさんの兵士たちが思いを述べているとは思っていませんでした。情に訴えるのではなく、事実を淡々と話していて、私の頭がしっかりと彼らの言い分をとらえました。彼らとDVDの作者を応援する意味で、さっそくDVD購入しました。藤田佳代舞踊研究所の仲間たちでもう一度見せていただきます。わたしたちはモダンダンスをしています。公演会、発表会、研究会、どれをするにも、まず、平和でないとできません。さらに、食べて、寝て、着る、条件がなければできません。わたしたちに戦争はいりません。冬の兵士を観る機会を与え下さり、ありがとうございました。

松本 公

映画「冬の兵士」に登場するイラク帰還兵の証言に、アメリカ人の聴衆が涙をながしていたシーンには、私も同じよう
に目頭が熱くなった。同じ人間性を共有していると感動した。アメリカは、自らの自由を守るためには、自衛的に武器を持つこと、行使することが必要であるという考えが当たり前の社会である。そこを利用して、政府やマスコミが「自衛的であり、正当防衛的である」と世論を誘導して、9・11事件に関連してイラク攻撃を行った。彼らの証言は、自らの体験から、「自衛的であり、正当防衛」の戦争ではなかったことを証言している。又、「自衛」とか「正当防衛」の理論を認めても、国際紛争を解決する手段として武力を行使したら、非人道的な結果に終ることをも証明していた。やはり、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という日本国憲法9条を大切に守らねばならないと思った。

成山 昌子

「冬の兵士」を先日の高遠さんの講演を思い返しながら見ました。アメリカの若者が、イラクでの戦争の真実を全く知らされないまま、「国を守るため」「大学への奨学金を手に入れるため」などの理由で軍に入り、戦場でギリギリの状態に追い詰められ、イラクで民間人を殺してしまった罪の意識に苛まれ、心を壊してしまっている様子をまざまざと見せ付けられました。
自由の国アメリカが、どうして国民に真実を知らせないのだろう、アメリカのマスコミはなぜ政府に都合の良い報道ばかりを繰り返し、アメリカの作る世界秩序を無理やり広げる戦争に自国の若者や、世界中の人々を巻き込んで平気で居られるのだろうとの思いました。
「冬の兵士」の様なアメリカの中での反戦の取り組みがもっと広がっていって欲しいと思います。

石田 健一郎

 九条の会.ひがしなだ主催の学習会として、イラン・アフガニスタンからの帰還兵の告白をつづったドキュメンタリー映画「冬の兵士」を観ました。一部を上映した試写の時は大変「重い」感じを受けたのですが、それ程でもなく、改めて、テロとの戦いの名で、多くの罪も無い市民を虐殺している戦争の実像を目の当たりにして、無謀な戦争に突入したブッシュに対して大きな怒りがこみ上げてきました。それとは逆に、戦争に参加することと引き換えに得た入学などの権利を放棄し、「正義の戦争」というマスコミなどの世論づくりに抗して、勇気を持て戦争の実像を告白し、戦争反対を訴えるアメリカの若者がいる事を知って、心から敬意を表すとともに、頼もしく思った。

中村陽一

 兵士達の告白の内容が罪の無い市民を虐殺したという許しがたい行為であるにかかわらず、見終わった後すがすがしい感動が残った。それは、それぞれの兵士達が、自分の行った行為が人として許されない非人間的な犯罪行為であることを十分認識した上で、血を吐くような思いで、懺悔をするように、告白していたからだろう。そうした形の告白は、そのまま、戦争への鋭い告発になる。
 人類は、「女性が太陽だった」太古の長い母系制共同社会では戦争を知らなかった。牧畜が始まり、富が増え、私有財産として固定され、「女性が世界史的な敗北を遂げて」父系制社会に変わり、生産手段を持つものと持たざるものとに分裂して以来、戦争が始まった。中世においては、ヨーロッパのばら戦争や百年戦争のように、日本の分捕り勝手の戦国時代のように、戦争が日常の時代が続いた。近世に入ると、ポルトガルやスペイン、「太陽が沈まぬ国」と言われた大英帝国などの西欧列強が、アジアや南米などの遅れた地域を武力で制圧して植民地にする帝国主義の時代が始まった。現代の20世紀に入って、先進資本主義国と遅れた資本主義国の間の植民地争奪戦の形で、2度の世界大戦が行われ、数百・数千万人の人が死んだ。そうした事態への深刻な反省の中から、第二次大戦後、自衛の戦争以外の戦争を認めないという国連憲章が採択され、その流れの中から、「国際紛争解決の手段とし戦争や武力の行使を永久に放棄し、戦力は保持せず、国の交戦権も認めない」という日本国憲法9条が生まれた。これは、長い人類史の果ての人類の英知の結晶といえよう。
 20世紀においてほとんどの植民地が独立し、覇権主義が破綻した21世紀の現在では、戦争によって問題を解決することはもはや不可能になったのではないか。かってのベトナム戦争でも戦争を仕掛けたアメリカは多くの市民と兵士の屍を残して敗退したし、アフガニスタンやイラクへの戦争も多くの屍と破壊を残して終わろうとしている。そして、アジアでは、外部に敵を持たない開かれた平和共同体ASEANが生まれ、ASEANが提起した、紛争の平和的解決と武力行使の禁止を謳った東南アジア平和友好条約(TAC)には日本、中国をはじめ、欧州諸国やアメリカを含む52カ国か加盟している。また、南米でも紛争の平和的解決と武力の使用を禁止する大きな流れができている。
そにもかかわらず、日本では、「アメリカ軍の駐留は抑止力として必要だ」とか、「日本はアメリカの核の傘の中にいるべきだ」といった議論がまかり通っているのは、許しがたいことのように思う。戦後65年を経過してなお日本に百数十の米軍基地があり、そこから殴りこみ軍隊である海兵隊が世界中に出撃している日米安全保障条約は、本当に本当に必要なのか、今こそ根本から問い直されなければならない。そして、武力や核兵器で相手国を恫喝して言うことをきかせるような外交手段をきっぱりと捨てて、憲法9条の精神に立ち返るべきであろう。「冬の兵士」は、戦争の非常さ、むごさを知る上で大切な映画であり、また、非常に感動的な映画なので、もっと、もっと多くの人に観てもらいたいと思った。



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